自然農食みやぎのブログ

NPO法人自然農食みやぎのブログです。日々の活動や農作業の様子をお伝えしていきます。

1年後・被災地の現状

石巻市大街道地区 街の駅 コミュニテイおちゃっこ 
石巻街の駅おちゃっこ
コミュニテイおちゃっこに集まった人々
おちゃっこに集まる人々
女川町の根こそぎ破壊されたビル
女川町・根こそぎビルの残骸
何もない女川町のない街
何もない女川町
悲しいアナウンスの南三陸町防災センター
南三陸町防災センター
防災センター前の池(2年前に全国一斉にEM団子を投入した池)
防災センター前の池
1年後・被災地の現状

3月に入り、DND研究所の出口俊一編集長(比嘉教授の食と健康と地球環境のメ-ルマガジン連載)が来仙した。今回の取材目的は東日本大震災から1年を過ぎて、改めて被災地がどう変わったのかを見てみたいとのこと。
私とUネットみやぎの仲間もお伴して石巻から気仙沼までの被災地を廻ってみた。

石巻市大街道地区のある民家では、がらんとした住宅地に住み残った人々のコミュニテイを支えるために、NPO主体のボランティアがカフェを営んでいた。
中に入ってみると、地域には集まる場所が大切なことがわかる。仮設住宅とは違う悩みが現れているのもわかる。

女川町や南三陸町は津波で何もかもが壊れてから、片付けは終わったが、まだ、何もないそのままである。とても、復興には手がつけられない状況であり、街全体を別なところに作り直した方が早いのではないかと思うくらいの寂しい現状にある。何もないというのは、人間が住めないところと錯覚してしまう。

南三陸町の有名になった防災センターの前にたたずんでいたら、2年前のEMだんご一斉投入日(海の記念日)に、このセンター前の池にもEMだんごを投入したことを思い出していた。だが、何も面影が感じ取れないのである。

自然農食みやぎ 代表 鈴木 徹

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何もかも洗い流された陸前高田

何もかもなくなった陸前高田その1
何もかもなくなった陸前高田その2
何もかもなくなった陸前高田その3
何もかも洗い流された陸前高田

日本百景にも数えられていた高田松原がたった1本の松(でもすでに手後れ)だけになってしまいました。
写真のユースホステルは私が学生時代に随分お世話になった「旅の宿」でした。

驚いたのはユースホステルから高田海岸までは、遊歩道を通って数100メートル先にあったほずなのです。それが2枚目の写真の通り、海岸が壊れたユースホステルの目の前まで迫って来ているのです。

今回の津波の高さは、リアス式海岸の影響で宮城を襲った津波の高さよりもはるかに上であることがわかります。その証拠に3枚目の写真では、街全体の木造家屋はすべて洗い流されていますから何にもありません。

これが真実の壊滅状態と言うのでしょうかね。車の壊れ方もただ流されたのではなく、ほぼ完全に押しつぶされた状態の自動車ばかりが集められておりました。

今回は宮城とはまた違う津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられた一日でした。

やはり私達は自然災害も大自然の一部と理解し、この教訓に対して、謙虚な気持ちでい続けなければならないのだと深く反省させられた一日でした。

自然農食みやぎ 代表 鈴木 徹



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